本久寺
弘安5年(1282)創立、開山日満。
法光山本久寺は、往昔此の地に住む大織冠鎌足公31世の孫、武藤治部小輔清康入道法久禅門邸内に、一法華堂として生まれた。
時あたかも北條執権時頼の頃で、清康しばしば鎌倉にあって日蓮聖人の辻説法を聴聞し、ひそかに帰依した。聖人やがて宗法弘通の路次、清康の邸に寓居あり。
清康、心酔帰依の余り改宗し自邸に小堂を営み法華堂と呼び、駿州より豊後房日満上人を招いて法華の法筵を開いた。
たまたま佐渡に於いて阿佛房日得上人入寂され、日満上人佐渡に赴かれて後、日朗上人の上足大法房日善上人(当山2世)発願、この地に大堂を建立。
清康また東西60間南北100間に及ぶ田園を寄進し、弘安5年(1282)9月、日朗上人導師のもとに開堂供養の大法会を厳修した。
正応2年(1289)3月2日、清康卆去して、その法名法久寺殿蓮秀一儀の2字をとって法華堂を法久寺と号した。
それより50有余年後、本山大光山本国寺の鎌倉より京都へ移るに当たり、その功により、本山の山寺号の2字を配し、法光山本久寺と改め、「六條」の別号を許され、自来法灯相伝えて700年、法運常に揺るぎないものとなった。
なお、寺内には今もなお開基清康の守本尊たる北辰妙見大菩薩を勧請している。