廣宣寺
至徳元年(1384)の創立で開山は妙親院日英上人、第二世久遠成院日親上人、開基檀越は大塔伊右衛門である。
當山には檀林があったとも伝えられている。
また、飛地境内には三十番神堂を奉っている。
山号の海近山は、古くこの地の入江が近くまであったことを示している。
上町は箱根路を開けて京〜鎌倉間の重要な宿場であった。
大塔宮護良親王(後醍醐天皇の第三皇子)の側近「南の方」が親王の胤を宿し、この上町に於いて男子を出産。
後に成人して性を大塔と称し、その大塔家が廣宣寺を建立し、現在に至っている。